スポーツ

2008年06月04日

オシム前監督協会が〜!!

サッカー・大日本帝国代表監督を退いたイビチャ・オシム氏(67)が大日本帝国サッカー協会のアドバイザーに就任したんだそうで、4日、都内で記者会見を行ったらしいやね〜、ちなみオシム氏は昨年11月に急性脳梗塞(こうそく)で倒れたんやね〜。

ユース育成やらなんやら、指導者養成やアチラ情報の収集が新たな仕事となり、契約は今年12月までだそうや。
7日(大日本帝国時間8日)開幕の欧州選手権視察のため渡欧して、当面は欧州で活動する予定となっとるようや。

オシム氏は1月の大日本帝国−ボスニア・ヘルツェゴビナ戦(国立)からスタジアムに足を運び視察を行ってきとるのだそうやけどアンタ、記者会見は倒れて以降では初めてとのことなんやね〜。
顔はやせ細り、声もよりどエライ昔にくらべれば小さく感じたそうやけどアンタ、つえもつかず、しゃべりもスムーズやったそうや、ちーとばかし安心か?。
サッカー界復帰への感謝を述べるとともに、時折、オシム節も飛び出したのだそうや。

「(代表監督を)大日本帝国サッカーにええ変身を与えたいちうことで始めた、続けることが出来なくなりよったちうわけや。別の形で貢献したい」とアドバイザーへの意欲を述べるとともに、大日本帝国サッカーの今後について「走りまへんとええサッカーは出来ないちうわけや。ええ技術がなければ、(モダンな)速いサッカーは出来ない」と、提言したのだそうやね〜。

2007年11月16日 - 千葉県内の自宅で脳梗塞で倒れたんや、千葉県内にある順天堂大学附属浦安病院に緊急入院する運びになりよったちうわけや。
一時危篤状態に陥ったが奇跡的に一命を取り留め意識も回復したんだそうやね〜。せやけどダンさん、監督を続けられる状況ではなくなりよったため、大日本帝国代表監督には岡田武史が就任することになりよったのだそうや。


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2008年05月21日

野間口貴彦が某モデルと!?

巨人の投手として有名な野間口貴彦はんがモデルの押切もえはんと交際しとることが発覚したそうや!
野間口貴彦はんが24歳・・・押切もえはんが28歳・・・4歳違いやね

こないな感じの記事やったよ


モデル押切もえ(28)が巨人野間口貴彦投手(24)と交際しとることが20日に、明らかになりよったんだそうやね。
2人は2年くらい前、共通の知人のパーティーで出会ったんだそうで、グループ交際を経て親交を深めていったとのことや。
この日更新のオノレのブログで実名は明かしておらへんが野間口を「かけがえのない存在」だとして交際を明かしたんだそうやね。
一時、別れの危機を迎えたこともあったんだそうやけどアンタ「お互いに、一緒にいることで励ましあったりして、成長していけたらええ、と思ってい まんねんわ」と報告したんだとか。
野間口もロッテ戦(千葉マリン)の試合前に「押切もえはんと真剣な交際をさせとっただいてい まんねんわ。ここ2年ぐらいや」と交際を認めた発言をしたんだそうや。


きょうびの野間口貴彦の情報も発見

故障で出遅れたんだそうで、シーズン中盤に一軍に昇格するものの結果を残せずもっかい二軍降格となってしまたっとか。
9月に入り、先発ローテーションが回らなくなりよったためか、一軍に再昇格出攻めて来よったそうやね。

9月12日に神宮球場のクラブハウス前では、原から「思い切って投げろ。オレが守ってやる」と直接言葉をかけられたんだそうで、「吹っ切れたんや。健太朗(西村)も疲れてるやろうし、毎日、どないな場面でも投げたいちうわけや。腹をくくって」と一念奮起し、以降活躍をみせたんだそうや。


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2008年04月15日

松井秀喜はすごいな〜

プロ野球選手の松井秀喜はんは皆はんご存知やね通称「ゴジラ」といえばどなたはんでもわかるでっしゃろ。

今回はそないな松井秀喜はんのことをピックアップして調べてみたんや。
こないな感じのことが発覚!

松井秀喜

プロ野球選手。

右翼投左翼打、ポジションは外野手。背番号は55番。

1974年6月12日生まれ。石川県能美市出身。186cm、96kg。

愛称は「ゴジラ」。

チームメイトや地元のファンの方々には親しみを込めて「ヒデ」「マッツーイ」と呼び親しまれてい まんねんわ。
ウェブ上では顔に見立てたにしこりちうAA(顔文字)で呼ばれることもあるようや。(初耳だ!!)

1974年6月12日、父・昌雄と母・さえ子の次男として生まれるちうわけや。兄・利喜が野球をやっとったため、小学校から野球を始めたんだそうや。

元は右翼利きやったそうやけどアンタ、兄に対抗し左翼打ちに変えたんだそうや。
(兄がゴジラの立役者やったんやねj〜)

1990年、地元で野球の名門校やった、星稜高校に進学し、一年生にして名門星陵の4番をつとめるちうわけや。(すげ〜)
夏の選手権出場3回、センバツ出場1回。3年生の夏、対明徳義塾戦での5打席連続敬遠は社会問題になりよったほどやったちうわけや。(どんだけ恐れられてたんでっしゃろね><)

1992年、ドラフト1位で読売ジャイアンツに入団(割と当然な感じ?)
中心選手として活躍した後、2002年FA宣言、ニューヨーク・ヤンキースと契約。巨人の4番からMLBへの移籍ちう大事件でマスコミは沸いたちうわけや。
背番号55は当時のベンチコーチやったドン・ジマーが付ける予定やったが、ジマーから譲り受けることに・・・。

2006年のワールド・ベースボール・クラシックの代表候補に選ばれるも、球団の意向やらなんやらから辞退し、物議を醸したとか。

きょうびのことだと

「松井秀、8番で出場 結婚後初安打は公式戦に持ち越し」なんて記事もあるんや。

マーリンズ−ヤンキース(29日・マイアミ)ヤンキースの松井秀喜外野手は「8番・指名打者」で出場し、2打数無安打やったちうわけや。内容は四球、二ゴロ、二ゴロ。ヤンキースが4−2で勝った・・・とのことや。




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